太宰治のきりぎりすかと思った、歌詞のはじまりをみて。
それだけで、ぐっとして。
聴いて、うわーっ!!
とおもった。
曲も歌詞も、もちろん。声。
声が、もう、心にずーんときて、なんて素敵な声なんだろうと感動したのは、昨日の昼間の休憩中。
HAPPYBIRTHDAYのしゃかいのごみのうたが、着うたダウンロードしてるよ!
最高すぎるよ!
昨日の夜中から、朝にかけて、NA!とぅるんとぅん深夜スタジオ。
5時間。
楽しかった。
朝帰り、午後出勤に備え、寝ようとおもい、でもまだねむれず。お風呂はいって。
アラームをしゃかいのごみのうたにしようと、セットしながら、きいたら、またねむれず。ギター弾いてまたねむれず。
それでも髪の毛ぬれたまんまねたら、仕事中、くしゃみと鼻水とまらない。
電車の中で、寝ようとおもいつつ「ガンジス河とバタフライ」読んでいたら、ますますねむれず。
かえってきて、昔のアルバムやら日記みていたら、またねむれず。
オバ犬きいてる今、またねむれず。
世の中には、たくさんの音楽と本があって、死ぬまでにどのくらい音楽きけるんだろう。
本読めるんだろう。
世の中には、たくさんの人がいて、友達になりたい!と思いながら、チャンスがないからと、友達になれなかった人はどのくらいいるんだろう。
やれる環境があるのに、無駄にはできないぜ今を生きるんだ!
真夜中のビールのみながらやる気です。
朝になったら、わすれるでしょう。
だから、朝は厭。
おやすみBOOK
「ガンジス河でバタフライ/たかのてるこ」
人間は死ぬからこそ、生きているような気がしてならなかった。
人はなまけグセがあるから、締め切りがないと何もできないものだ。
試験があるから勉強するし、試合があるから特訓する。
締め切りがあるからこそ、それに間に合わせようとする。
死は「肉体の締め切り」のようなものなのかもしれない。
締め切りがあるということは、どんな人にも、生きている間にやるべきがあるということなんだろうか...。(P.283)
2011年の日記
20代のころの自由さがほしくなった